第13話  羽化     芦野信司

 LINEの電話は一方的に秋江から切れてしまった。有無を言わせぬ勢いで、痴漢問題は自分が何とかするという。何とかすると言っても、どうするつもりなのだろう。美由紀は携帯を自分の机の上に置いた。そして「アッキーは、変わったなあ」とひとりごちた。  秋江はどちらかというとぼんやりした子だった。何でもママの言うことをきいていた。自分の意見を言わない訳ではなかったが、最後はママの意見に従うような子だった。私立中学進学を決めたのは美怜だったし、この先の人生もママの敷いたレールを進むのかなと思っていたのに。痴漢問題に対し「具体的に何とかしよう」「あとは私が勝手に考えてみる」などと言うようになるとは。  この頃の秋江には蛹から抜け出そうとする蝶のような変化を感じる。まだ蝶になりきれていない、羽化の最中のような危なっかしさを。……… いつから変わったのだろう。  振り袖は衣紋掛けに下げてある。美由紀の勉強部屋にはそぐわない豪華な色彩が部屋の一角を占領している。順子が成人式の時作ったものだという。その写真をかつて見たことがある。友人たちと笑って写っていた順子は、少しぽっちゃりしている上に羽根のショールが派手過ぎて時代がかって見えたが、みずみずしい肌のはりが輝いていた。  美怜から「きれいになったわー」と言われたとき、ふっと浮かんだのが順子の成人式の写真だった。自分もあんな風になるのかなと。地味な服装を好んで着ているのが自分らしさと思っていたが、派手な振り袖を着たら色っぽくなるかもしれないと夢想した…

続きを読む

第12話 協力者 かがわとわ

ユッコから誘いがあり、秋江は年明け三日に初詣に行った。大倉山駅から近い師岡熊野神社にしたのは、ユッコが「リキ入れて晴れ着で行くから、遠くはきつい」と言ってきたからだ。由緒ある立派な神社なので参拝者は多く、ユッコは「帯が苦しい」と人混みに酔った感じになってしまい、早めに去ることとなった。帰り道、少し持ち直したユッコは、「お母さんの若い時の着物を着付けてもらったの。宝塚に入れば、自分で着られるように練習するんだよ」とか、「芸能関係の神社は、東京にも神奈川にもいくつかあるから、受験前にまわろうかな」と言ったそばから、 「お願いした内容を人に教えると叶わないんだって。だから、ひ、み、つ」  と、しなをつくってみせた。──梅と牡丹が鮮やかに開く柄は、ユッコのすらりとした体にバッチリ似合うけど、色気のようなものは感じない。 「教えてもらわなくても、わかってるし」 「アッキーは? 何お願いしたの?」 「もう、ユッコったら。私には聞くんだ。いいよ、教えてあげる。言ったら叶わないとか、信じてないし。そもそもお願いじゃなくて、宣言だから。私の初詣は」 「相変わらずだね。で、なになに?」 「迷ったら、やるほうを選ぶ。今年は、それを貫く」  帰宅してのんびりしていると、ユッコからLINE電話があった。 「今日はごめんね。着物脱いだら天国のように楽になった」 「天使みたいに軽くなった? でも、似合ってたよ」 「──うちのおせちの黒豆。お母さんの煮たやつじゃなくなっちゃったの」 「は? 黒豆? う…

続きを読む

第11話   黒豆    黒崎つぐみ   

 12月29日。順子は美由紀と出かけたYモールでばったり秋江の母、東坂美怜に遭った。 「ちょうどお会いしたいと思っていたんですよ」という一言に背筋が凍る思いがした。喫茶店へと促され、美怜が珈琲を頼み、「同じもので大丈夫?」と聞いてきた時も、順子の頭の中には秋江に対する夫の痴漢行為のことが渦巻いていた。「ちょうど」という言葉に意味はあるのだろうか?美怜の顔を盗み見たが、どこにも被害者の母の表情はないように見えた。それどころか美由紀が秋江をディズニーランドへ誘ったことに謝意を示し、美由紀がタカラジェンヌになったときの後援会長になるとまで話が及んだ。善意の固まりのような押しつけが、邦夫の所業と知ったとき、どれだけの勢いで反転し押し戻されるのか。仮にそれが濡れ衣であったとしても、社会的な地位のある東坂家だけに、ひと通りの制裁では済まないような気がして、順子は身の置き場もなかった。もし、これが逆の立場だったら……。美由紀が東坂勝茂から痴漢をされたら、と思うと、到底許すことはできないだろう。もし痴漢以上のことをしていたら……という不安で順子は押しつぶされそうになる。喉が渇く。気が付くと、水が入っていたコップが空になっていた。 「お母さん、珈琲飲まないの?」  そう美由紀から言われて我にかえった。美由紀はちゃっかりカフェオレを頼んでいた。年末の買い物でざわついているショッピングモールの喫茶店で、周囲の騒音よりもさらに大きなよく通る声で美怜の話は続いている。「県の迷惑防止条例」、「卑猥行為の禁…

続きを読む