第21話 飛び越えようか、蹴り倒そうか ∥∥∥∥∥∥∥              かがわ とわ

chikan1.png 二月になった。秋江は教室の窓から青というよりは薄く、灰色というよりは明るい空をぼんやりと眺めていた。数学の授業中。三階の窓際席だから、つい黒板から目が逸れて、外を見ることがしばしば。二月は土曜始まりだったので、授業は三日の今日から。月曜日の午後はだるい。今月の期末テストが終われば、来月は卒業式だ。エスカレーターでそのまま高校へ行く。成績や素行が酷いとか、出席日数が足りないとかでない限り、退学を促されることはないから、残りの月日をただこなしていくって感じ。公立の中三生たちは、私立受験なら先月、公立なら今月中旬が受験だから今が大変な時だろう。──ユッコも。来月は、宝塚の受験が控えているし。宝塚に受かったら、合格した高校を蹴って兵庫県に行っちゃうわけだ。そしたら、これまでみたいに会えなくなる……っていうか、あのチカンに遭った電話から、話してもいないし、会ってもいないんだけれど。受験の追い込みで、必死らしいから。電話を受けたあと、ユッコを呼び出して話がしたいと思っていた矢先、「いろいろごめんね。今、高校受験と宝塚受験のダブルでパンクしそう。落ち着いたらこっちから連絡するから」と、LINEが来て、「ごめん」の手持ちスタンプ全種類が送信されて来た。──いろいろ? ごめん? それは受験で手一杯で、連絡できないとか、会えないとかのごめんなのだろうか。お父さんが迷惑かけたまま保留になっていてごめんという気持ちも含まれているのだろうか。校庭に視線を落とす。体育でハードル走をしている様子が見える。俯瞰すると、走り終わったあとの生徒が弛緩しているのがよくわかる。順番が来た時だけシャキッとして飛び越えていく。人生は頑張る時に間違えずにダッシュして飛び越えればうまくいく……のか? ユッコはさあ……自分の話ばっかりでさあ。でも、私が親友だからこそ。信頼の上に成り立っているのだからいいのだ、うん……。そういう場合と全然違って、秋江のクラスの中に、話を全部自分のことに持っていっちゃう子がいる。グループでお喋りしてて、ある子が、「お姉ちゃんが買ってきた傘が超お洒落で、その模様がね」と話し始めれば、「傘って言えば、私、すごいこだわりがあるんだ」と、いきなり横取りして自分の話へ。別の誰かが「近所に面白いおばさんがいてね」と始めれば、「うちの親戚のおじさんのほうが超変人だと思う。あのね……」と、また横取り。ああいう子って、大人になっても自分のことばっかりなのかな。自分の話は面白いから、みんなが感心して聞くに違いないって、ずっと思って生きていくのかな。秋江は、その子に釘を刺してやる自分を妄想する。──あのさ、ずっと前から言おうと思ってたんだけど。どうしていつも人の話を横取りするの。みんながあなたの話を聞いて面白がるふりしてくれているのがわかんないの。ねえ、自分にしか、興味がないの。なんで人の話に耳を傾けようとしないの。話そうとしてる相手の気持ち、想像できないの。──そういう子って、割と多い。秋江は自分のことより、他人が何を考えているのかのほうがよっぽど興味がある。そういう職業ってなんだ? 他人がどうしてこんな行動をとるのかとか、心の裏表とか、その人の目を借りたつもりで熟考する仕事……。心理学者、カウンセラー、作家、俳優……俳優? ユッコは、どうして宝塚なのかなあ。天乃くれないみたいに、キラキラと輝きたいから? 男役として、異なる性を突き詰める気持ちって、どのくらいあるんだろう。他人の頭や心の内を掘りおこすのって、絶対面白い。……おじさん。おじさんは、どうして女性の服の切れ端を集めるの? 私に話してくれたのは全部つくり話? 猫──。指。ユッコ。電話。ユッコはまだ私に何かを話したかったのでは……。やっぱり、言いたいこと全部、言ってないよね? 話したいな。会って、聴きたいな。私は知りたい。そのために動きたい。そうすれば、このイライラも。不安も。少しは。でも、今は……。
「──坂。東坂!」
 先生の声で、我に返る。
「窓の外に、何か面白いものでもあるか?」
「──外側から見てるだけなので、わからない状態です」
 ぽかんと抜けたような短い静寂のあと、教室に戸惑うような笑いが広がった。
 
 秋江は学校から帰って自分の部屋に直行した。部屋着に着替え、レポート用紙を開く。下校中もいろいろ考えていたことを整理し、これからのアクションを練るのだ。「さて」と声に出して、お気に入りのボールペンを握る。
 
☆ ユッコとはしばらくコンタクトを控えなければならない。その間、私はどう動くか。
☆ ユッコが無事に宝塚に合格した場合、彼女は家を出て寮に入ってしまう。その流れをいいことに、木田家はチカン事件をうやむやにするのではないか。そうはさせない手段は?
☆ だからといって、おじさんのことを表沙汰にするのは、ユッコの今の状況的にまずい。まるでユッコの将来にブロックをかけるような行動になる。
☆ こうしている間にも、おじさんは罪を繰り返しているのでは。
☆ ユッコのチカンの犯人は、捕まったのか? その後どうなったのか? それがきっかけで、おじさんの行動の謎も解明される方向に進んだりはしないのか?


「あ~。望み薄いな。あの家族だもん。おばさんもユッコもおじさんに気を使い過ぎてるんだもん。ユッコのお母さんがうちのママだったら、おじさんをもっと締め上げてるだろうな」
 秋江は、立ち上がって、ベッドから枕を持ち上げると三発殴って放った。──ユッコのお母さんじゃなくて、うちのママだったら……。
「あれ?」
 何か思いつきそうで、部屋をぐるぐる回った。えーと、えーと。
去年の暮、Yモールでユッコとおばさんに会ったって、ママが言ってた。ゆくゆくはユッコの後援会をつくるとか、ベラベラ話したらしいけど、痴漢撲滅運動のチラシを渡した時に……。そうだ。ユッコにあとから聞いたんだ。「アッキーのママが若い頃、チカンを撃退した話が凄かった。びっくりしちゃって何も言えなかった」って。自分の名前の由来まであげて、「犬はしつけるもの。男もしつけるもの」の話をしてくれた、と。そんなこと中学生に言われても。それともおばさんに向けて? なわけないか。恐るべし、成り行き発言。ママはおじさんのチカン疑惑を知らずに、撲滅運動のチラシを渡したり、男のしつけの話をしたのだから、マジやばいっていうか、超スリリング。
 ──犬と男は、しつけるもの。猫は? 女は? 猫……。
わかんない。わっかんないよ。もうっ!
今度は、反対周りにぐるぐるしながら考えた。
だ、か、らぁ。ママだったら……なんだよね。ママを巻き込んだら、そりゃあ進展早いし、当然パパの耳にも。うう、ユッコの受験が……。このままだとおじさんはのらりくらり逃げるばかりだし。振出しに戻る? それは、嫌。
「よし。おじさん、あなたに猶予をあげよう。今日から三日だ。それでもだめなら」
 ぴたりと立ち止まると腕を組み、不適な笑みを浮かべてみた。が、これまでの人生で不適に笑ったことがないので、うまくできたかどうかわからない。
 スマホを手に取ると、おじさんに宛ててメールを打った。
「秋江です。ズバリ質問です。おじさんの布とハサミと猫はどう繋がっているのでしょうか。とても知りたいのです。教える気があったら、日時場所を指定してください。私はユッコと違って、かなり暇です」
 推敲すると悩みそうなので、えいっと送信してしまった。「ユッコと違って暇」の部分に「おじさんには、受験を控えている大切な娘がいますよね。このままでいいんですか」的なニュアンスを含めたのだが、動揺してくれるだろうか。わかんないかな? 秋江はメールを開封して、長い指をこめかみにあて、動揺するおじさんを想像しようとしたが、うまく像が結べなかった。

 三日たっても、おじさんからのレスは来なかった。二日めも三日めもメールを送信したのに。「お返事待ってます」的なものより、まったく同じ文章のほうが恐怖感が増すかもと思って、同じものを送った。しかも二回目と三回目は深夜零時に送ってやった。
──なしのつぶて。何なの、この無視は! 私をなめるなよ。
 四日目。帰宅後に着替えて、即リビングに向かった。ソファーでワイドショーを見ている美怜の前に立つ。
「ママ。ちょっといい?」
「よくない。見えない。あとで」
 美怜は体を横に倒して、迷惑そうな声を出した。
 画面には、「一か月で劇的変化! ヒップアップ体操」のテロップが出ていた。
 秋江が仕方なく待っていると、
「いいわよ。なに?」
 画面をオフにして立ち上がった。
「生チョコ大福が届いたの。いっしょに食べましょう」
「取り寄せしたやつ?」
「そう。お茶? ブラックコーヒー?」
「どっちでも合いそうだけど。コーヒーにする」
「じゃあ、ママも」
 ふたりで用意して、ダイニングテーブルに移動し、向き合った。
「なによ、こわい顔して」
 美怜が茶化したように言う。
「ママさあ、去年の暮にユッコたちと会ったじゃん?」
「──ああ、そうね。で?」
「その時、ママのチカン撃退話をしたんだって?」
「まあ、流れでね」
「ユッコ、ものすごく驚いてた。どうしてあんなに強く出られるんだろうって。なんであっけらかんと武勇伝みたいに喋れるんだろうって」
「秋江、やっぱりまだスカート切られたことが気になってる?」
 ──切られただけじゃないよ。と秋江は心で呟く。
「私、ママがその話をしている時そばにいなかったからわからないけど、なんていうか、自分の美人自慢みたいな感じでチカン撃退話した?」
「う~ん。まあね」
「ママって、そういう人だもんね」
 秋江は、生チョコ大福を口に入れた。ココアパウダーのほろ苦さのあと、白あんと柔らかな餅が甘く混ざり合ってとろけるように広がった。
「ママ、これ、やばい!」
「美味しいと言いなさい」
「──美味しゅうございまする」
 美怜も口に運ぶ。
「苦いものの中には、甘いものが隠れている。逆もまた真なりってね」
「はあ?」
「ママはね、チカンに最初に遭った時は、本当に怖かったの。それが何度か続いて、どうしたら逃げおおせるのか、恐怖でしかなかった。美由紀ちゃんに話した撃退話は、本当よ。ある時、思い切ったの。このままでたまるかってね。平気な人なんて、いないわよ」
「じゃあ、なんで」
「美由紀ちゃんとお母さんに向かって、チカンされるのは本当に辛いですねヨヨヨなんて言える私じゃないわよ。結局、ああいう言い方になっちゃったのね。チカンがへっちゃらなんて思えるはずないじゃない。最近は遭いもしないけれど。秋江はスカートを切られて怖い思いをしたけれど、触られなくて良かった。ママにチカンに平気になる方法を教えて欲しかったなら──」
「違う」
「慰めることなら出来るけれど」
「──あのね」
「強くなりなさい。女の人は我慢してそのまま済ませてしまう場合が多いの。この先、セクハラとかに遭っても、負けちゃだめ。女性として理不尽な目に遭ったら、声をあげなさい。舐められちゃだめ。ただ……身の危険を察したら、すぐに逃げなさい」
 美怜は、コーヒーをごくりと飲むと、
「秋江とこんな話をする歳になったのね」
 いい女を意識した風に微笑んだ。こういうところがママの可愛いところだと思う自分こそ大人になったもんだと秋江は思った。同時に、自分はママに何を言おうとしてたのか見失いそうになった。
「ママ。今から話すこと、冷静に聴ける?」
 美怜は、長い睫毛が絡まりそうに目を細めてから待ち受けるように大きく開いた。
「それが、本題?」
「私の話を聴いて、いきなり行動に走ったりしないと約束して」
「何なのよもう」
「約束して」
「──わかったわ」
 秋江は、声を発しようとしてから、コーヒーカップを手にし、口をつけようとしてやっぱりソーサーに戻した。
「あのね。私のスカートを切った犯人は、ユッコのお父さんかも知れないの」
 

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