第14話  憑依   黒崎つぐみ

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 順子が黒豆をシンクにぶちまけて以来、正月三が日はよそよそしい空気が家族に流れていた。ほとんど買ってきて詰め替えただけのお節料理をつまみ、お昼ご飯はお雑煮と焼餅のローテーション。台所の片づけを終えると順子はパッチワークに取り掛かる。年末に芸能プロダクションの鈴木という男にパッチワークの縫子にならないかと声をかけられた。アイドルタレントの代わりにパッチワークの作品を作るという仕事が、突然、順子に降って来た。渡された布と型紙。3週間という期限。その期間を経てできた作品が鈴木の要求するレベルに達していればの話だ。アイドルの作品であるという嘘をつかなければ、自分が作ったキルト作品が売れるわけがない、と順子にはわかっていた。鈴木の「ご家族にも内密に」という言葉は、共犯者としての罪悪感も共有するものだった。順子は「ただ鈴木に依頼された作品を作るだけだ」と思うことにした。三が日は化粧もせず、髪もボサボサのまま、ひたすら針だけを動かした。没頭することで邦夫のことも気にしないようにした。
「お母さん、ずいぶん沢山作るのね」
「うん、気分が乗っている時ってあるじゃない」
順子は顔だけを美由紀向けそう言うと、すぐ針仕事に戻った。
「よし、私も頑張ろうっと」
美由紀は自室に閉じこもり受験勉強の続きをしているようだ。あと2週間で鈴木にできたものを渡さなければいけない。時間をかけた分、3日で全体の3分の1くらいの工程が終わっていた。仕事が捗ると、捗っただけまた没頭する。夕方になり部屋の中が暗くなっていくのも気づかないほどだ。手元のスタンドの明かりだけで仕事をしていたと初めて気づいた。普段使っていない和室は、布を広げてもいちいち片付けなくて済む。昨日までは2階の寝室の隅でこそこそと仕事をしていたが、寝る寸前まで仕事をして起きたらまた続きをする、という使い勝手の良さから3が日を過ぎて2階の手芸材料を抱えて仕事場の引っ越しをした。隣のリビングから昼過ぎまでテレビの音がしていたが、邦夫は何処かへ出かけたらしい。最近は何も告げずにプイと外出する。順子は2時間も3時間も座布団に座ったまま針仕事をしていた。

突然、襖が開き邦夫が顔を出した。
「何をやっているんだ。リビングも真っ暗だぞ。エアコンもつけないで…… 」
外から帰った邦夫が部屋の明かりがついてないのを不審に思い、和室を覗いたのだった。
「あ、ごめんなさい。すぐご飯の支度をしますから」
使いかけの針を針山に戻すと、時計を見上げた。時計は6時を指していた。
邦夫は順子の化粧っ気のない疲れた顔を眺め、ポツンと言った。
「クララが死んだ時と一緒だな」
「え?」
「あの時も君はパッチワークに没頭した」
「そうだったかしら?」
「化粧もせず、話もしなくなった」
「それは、あなたの方が… 」
「そうだね。僕の話し相手はずっとクララだったからね」
「あなたの方がショックだったでしょう?クララがいなくなったことは」
17年もうちに居たクララが死んでしまってからまだ1年経っていない。この1年足らずの間にこの家は変わってしまった。
「僕の中には死んでからもずっとクララが住んでいたさ。僕自身がこの家ではクララになっていたからね」
「そんな……」
邦夫は人間の男として扱われていなかった、と言いたいのだろうか。その時、暗い部屋の中で邦夫の目がキラリと光った気がした。部屋の寒さが順子の頬をこわばらせた。
「でもね、猫から人間になる方法を見つけたのさ」
「どういう意味? 」
「君が教えてくれたんだよ。鋏にもいろんな使い道があるってこと」
「私のせいなの?」
「いや、きみのおかげさ」
トントントンと階段を駆け下りる音がして、美由紀がリビングに降りてきた。
順子はリビングの照明のスイッチを押した。光が目に差し込んで、急なまぶしさに目をつぶる。
「お母さん、お腹空いた」
「ごめんね。すぐ用意するから…… 」
カーテンを閉めようと窓辺に寄った。窓ガラスに映った順子の顔は生気のない能面のようで、慌ててカーテンを閉め自分の顔を隠すのだった。
冷えた台所に灯りがともり、エアコンの始動する音が微かに響く。
「とっておきのお肉があったわ」
順子はことさら明るい声で言う。冷凍庫から牛肉を取り出し素早く電子レンジで解凍する。
「あっ、そうそうご飯もないじゃない!チンでいいわよね。付け合わせは…っと」
急にバタバタ動き出した順子を美由紀はポカンと見ていたが、
「私、薄切り肉だったら大根おろしで食べたい」
と、おろし金を出し、大根を下ろし始めた。最近はこうやって美由紀には助けられることが多い。
コーンの缶詰を取り出すと
「コーンスープ、作ってくれるの? やったあ!」
美由紀のはしゃぎっぷりを邦夫は微笑んでみている。手際よく30分で曲がりなりにも夕食にありついた。
「お節に飽きてたから、こういうの美味しいよね」
美由紀のひとことひとことが部屋を明るくする。
「そうだな、カレーとか」
「じゃあ、明日はカレーね」
順子も調子を合わせた。
 こんな普通の夕食時の会話の中で、順子は先ほどの邦夫の言葉を反芻していた。

『猫から人間になる』
 猫を被っていた、ということなのか、猫が憑依しているということなのか、順子にはわからない。家庭の中の夫は本当の邦夫ではないということを言いたかったのだろう。この家は邦夫にとって本来の姿になれない場所なのか。クララが死んでから邦夫の指が順子に触れることはない。それは邦夫が猫になったからだと言うのか。それとも自分がやつれた姿をさらしていたせいなのか。漠然とした秘密がだんだんはっきりして来るのが怖かった。順子が鈴木と秘密を共有するように、邦夫も秘密を誰かと共有しているのだろうか。秋江か。いや、そんなことはない。秋江は一番の被害者ではないか。男性の性欲に操られた指が最初に自分に触れた異性の指になるなんて、秋江にとって不幸なことではないのか。邦夫には罪悪感があるのだろうか。いろいろな疑問が次から次へと湧いてくる。
美由紀が突然、無口になった順子に言った。
「ねえ、お母さん。きょうの片付け、お父さんにやってもらおうよ」
「え?」
「それがいいよ。お父さん、たまには、ね。罪滅ぼしに」
その言葉に順子はドキッとした。美由紀は「罪滅ぼし」という意味を知っているのだろうか。邦夫の罪はそんなことで償われるものではないと順子は思ったが
「いいよ。きょうだけな」
邦夫は平然と食器をシンクに運ぶのだった。

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