第12話 協力者 かがわとわ

report.jpg ユッコから誘いがあり、秋江は年明け三日に初詣に行った。大倉山駅から近い師岡熊野神社にしたのは、ユッコが「リキ入れて晴れ着で行くから、遠くはきつい」と言ってきたからだ。由緒ある立派な神社なので参拝者は多く、ユッコは「帯が苦しい」と人混みに酔った感じになってしまい、早めに去ることとなった。帰り道、少し持ち直したユッコは、「お母さんの若い時の着物を着付けてもらったの。宝塚に入れば、自分で着られるように練習するんだよ」とか、「芸能関係の神社は、東京にも神奈川にもいくつかあるから、受験前にまわろうかな」と言ったそばから、
「お願いした内容を人に教えると叶わないんだって。だから、ひ、み、つ」
 と、しなをつくってみせた。──梅と牡丹が鮮やかに開く柄は、ユッコのすらりとした体にバッチリ似合うけど、色気のようなものは感じない。
「教えてもらわなくても、わかってるし」
「アッキーは? 何お願いしたの?」
「もう、ユッコったら。私には聞くんだ。いいよ、教えてあげる。言ったら叶わないとか、信じてないし。そもそもお願いじゃなくて、宣言だから。私の初詣は」
「相変わらずだね。で、なになに?」
「迷ったら、やるほうを選ぶ。今年は、それを貫く」

 帰宅してのんびりしていると、ユッコからLINE電話があった。
「今日はごめんね。着物脱いだら天国のように楽になった」
「天使みたいに軽くなった? でも、似合ってたよ」
「──うちのおせちの黒豆。お母さんの煮たやつじゃなくなっちゃったの」
「は? 黒豆? うちなんか、毎年デパートに重箱ごと注文してるよ。ユッコのお母さんはさすがだね」
「──アッキーは、迷ったらやるほうを選ぶんでしょ」
「おばさんが、黒豆煮るのをやめるほうに選択したから、がっかりしたってこと?」
「違うの。黒豆が原因じゃないの」
「ごめん。ユッコが何を言いたいのか、よくわからないんだけど」
「お母さんがね、せっかく煮てた黒豆をシンクにぶちまけたと思ったら、とりつかれたように、パッチワークに夢中になって」
「前から好きだったんでしょ。パッチワーク」
「だから、こう、何かに迷ってて、パッチワークの先生とか専門家になるとか決めたのかなって」
 秋江は、暮れにユッコが「お母さん、やばいかも」とLINEしてきたことを思い出した。「どうしたの?」と返信したが通知が途絶え、ようやく返って来たのが「やっぱ、大丈夫。ごめん」だった。気になっていたが、やばいってそれなのか?
「ユッコ。言いたいことは別のことだよね」
「──うん」
「おじさんのこと? おばさんは、それで?」
「──たぶん」
「わかった。その問題、具体的に何とかしよう」
「えっ、だって……」
「このまま、ぐるぐるチカン問題の周辺を廻り続けるのは、嫌。ユッコはどうなの」
「──どうって」
「ごめん。ユッコは受験でそれどころじゃないよね。きっと、おばさんもそういうこととか、いろいろ気にして、もやもやしてるんじゃないかな。あとは私が勝手に考えてみる」
「ちょっとま……アッキー?」
焦るユッコに、秋江は「じゃあね。何か進展したら連絡する」と言って、電話を切った。
 七日の新学期開始まで、あと四日。ここでどう動けば、誰に働きかければ、前に進むのだろうか。ユッコの両親は、互いに事を荒立てないようにしている。おばさん、黒豆にあたるなら、おじさんに直接訊けばいいのに。私だったらどうだろう? 妻や母の立場なんて到底わからない。かなり複雑なのだろう。でも、このまま引っ張るより、ユッコの受験前にはっきり方をつけといたほうが気が楽なんじゃないだろうか。わからないけど、私なら、ぎょっとするような結果になっても、真実が知りたい。どっちにしても、ユッコの家族から真実を引き出すのは無理だ。最初にユッコが「お父さん、チカンした?」ってズバリ切り込んだのに、そこから進んでないんだもん。やっぱり、うちの人間を使ってなんとかするしかないな。
 秋江は、自室の机でレポート用紙を開き、お気に入りのボールペンを手にした。

☆ 家族全員、ユッコのお父さんのチカン疑惑を知らない。
☆ 家族全員、私がスカートを切られたのは知っているが、触られたことは知らない。
☆ お兄ちゃんは、ユッコのお父さんが「シェーレ01」だと知らない。        
☆ パパとママは、「痴漢撲滅運動」を始めようとしている。


え~と。問題は、「知らない」点をどうするか、だな。ママなんて、いずれはユッコの後援会つくりたいって言ってるし。パパだって撲滅運動に張り切ってる。今、ママとパパに話したら大騒ぎになりそう。──お兄ちゃん。まず、お兄ちゃんかぁ。力を貸してもらうからには、触られたこととか、もうひとり怪しいおじさんがいたことを話さなければならない。せめてお兄ちゃんが、お姉ちゃんだったら。──考えても、仕方ないか。
秋江は、真斗の部屋前まで行くと息を整え、階下リビングにいる両親に気づかれないように、そっとドアを叩いた。
「お兄ちゃん」
 返事がない。
「お兄ちゃんてば」
 いきなり、ドアが開き、
「うるせえな。なに?」
 苛ついた声で見下ろされた。
「ちょっと、入れて」
「やだ」
「お願い」
 閉めようとするドアに足を差し入れる。
「お前は、悪徳セールスマンか」
「あのね、お兄ちゃんしかいないの。パパよりママよりお兄ちゃんなの」
 真斗は秋江を探るような目で、じっと見た。が、その目の奥に、ちょっとうれしそうな光が宿るのを見逃さなかった。もうひと押し。
「お願いがあるの。秘密の相談なの。お兄ちゃんでないと……」
「──しょうがねえな。なんだよ?」
 中に入れてもらって、ドアを閉めると、むっとする臭いが押し寄せて来た。鋏を借りにきた時も臭かったけど、あの時は短い間だったから。脂っぽさと、酸っぱさが混ざった体臭。いわゆる男臭いというやつ。どんよりとした粒子が、部屋の中にみっちりつまっているような感じで、セーターの袖口で鼻を押さえた。
「勉強中だった?」
 机の上に伏せられた赤本を指さす。
「まあな」
「四月には高三だもんね。エスカレーターでそのまま行くのかと思った」
「国立の最高峰も受けてみたいし。まだ、わかんね」
「で、いきなり、本題に入るけど」
「ああ」
「私、電車でスカートを切られたじゃない?」
 真斗は黙って頷いたが、何の話になるかと興味を持ったようで、立ったまま話している秋江に「座れよ」と、クッションを投げてよこした。ばすん、とキャチしたクッションからも脂臭さが立ち上がったが、「ありがとう」とラグの上に置いて体育座りした。真斗は、ベッドに腰掛ける。
「あれって、切られただけじゃなくて、触られたんだよね」
「──え」
「スカートの中に手が入って来て、腿の裏側を」
 秋江は、喋っていて、喉から食道あたりがどんどん腫れてくるようで苦しくなった。説明するってことは、追体験するってことだ。でも、計画は始まったばかり。負けるもんか。
満員電車で、後ろからコートを持ち上げられ、制服のスカートが引っ張られた感触があったこと。硬質な冷たい何かが腿にあたったこと。そのあと、気持ちの悪い指に触られたこと──。ユッコのお父さんが同じ時間の上り電車に乗ると知って、つけていったところから、鋏を使ったチカン疑惑まで順を追って話した。その後のおじさんとの事は、何も言わなかった。真斗は、組んでいた腕をほどいて、
「秋江は、美由紀ちゃんのお父さんが、切って触ったと思ってんの?」
「わかんないの。切った人と触った人は別かもしれないとも考えてる。触ったほうは、いかにもな感じの、あくびしてたおじさん。切ったのは……」
「美由紀ちゃんのお父さんだと? 根拠は何?」
「だからその……日吉のホームベンチで端切れの作品を見せてくれたから。その時に、『布たちは、おじさんが集めた宝物なんだよ。すべてに個性があって息づいているんだ』って。なんか、その宝物の集まりを撫でる指が……。でも、悪い人じゃないと思うの」
「おまえ、何を言いたいわけ? 話を聞いていると、切った人と触った人は別の人間と思いたい。切ったのはたぶん美由紀ちゃんのお父さんだけど、切っただけならそんなに悪いチカンじゃないと考えたいように聞こえるんだけど。そんな、ふたりの人間が時間を置かずに切って触るなんて、あるかな」
「それは……やっぱり、ユッコのお父さんだし」
 真斗は、細い顎に拳をあてた。
「ちょっといくつか質問するけど」
「うん」
「触られた話をしたのは、俺が初めて?」
「うん。ユッコに、お父さんはチカンかも知れないと話した時も、切られた感じは言ったけど……」
「まじか! 美由紀ちゃんに話したのか。彼女……大丈夫だった?」
 お兄ちゃんは、さっきから、なんで私に大丈夫だった? と言ってくれないのか。兄として心配じゃないのか。それとも、お兄ちゃんなりの照れなのか。秋江は複雑な気持ちになった。
「ユッコったら、おじさんにいきなりチカンしたかどうか訊いちゃって。それからもう……なんだかわかんなくなってる。おばさんも危うい感じらしい」
「おまえたちって、信じられねえ」
 真斗は溜息をついた。
「質問、その二。何で俺に?」
「パパは、ママと協力して痴漢撲滅運動をしようとしてるじゃない。今、私がユッコのお父さんのこと話したら……」
「質問、その三。そもそもおじさんは、どう言ってるの?」
「それは、否定しているみたいだけれど」
「そうだろうな。肯定してれば、話は終わってる。知りたいのはさ、美由紀ちゃん情報で、何か犯人ぽいところを匂わせてるとか、そういうこと」
 おじさんの秘密なら、ユッコより私が共有している──。秋江は心で呟いた。
「よくわかんない。平静を装っているみたいだよ」
「要するに、俺じゃなきゃっていうのは、親だとあっちの家とまずい関係になるからってこと? とりあえず、言ってすっきりしたいと」
 真斗の熱が冷めてきたように感じ、秋江はいきなり立ち上がった。
「お兄ちゃん! ここからが大切なの」
「──なんだよ」
「あのね、ホームで見せてもらった端切れの創りかけの絵が──。お兄ちゃんがこの前見ていたサイトの画面に」
「なに? なんだっけ」
「クリスマスの片付けしてた時。鋏を借りに来て──シェーレ01って人の絵と、同じだったの」
 真斗の体が前のめりになった。
「まじか」
「まじで」
「おじさんが」
「シェーレ01」
 真斗はパソコンに駆け寄ると、ホーム画面からショートカットされているサイトをクリックした。手早く操作して、シェーレ01の投稿ページを開く。
「あっ、これ。この猫の」
「間違いない?」
「ホームで見た時は、ほぼ完成していたから間違いない。同じもの」
 ──完成間近は、カラオケ店で見たんだけど。また、心で呟く。
「お兄ちゃん、コンタクトとれる?」
「とって、どうするわけ?」
「その布は、どうやって集めたんですか」
「まともに答えるわけないだろ」
「だよね」
 ふたりは、やむなく笑った。
「今度は、私から質問していい?」
「は?」
「ずっと前。お兄ちゃんが小五くらいの時。私とユッコのバレエのタイツ、鋏で切り刻んだことあったでしょ。あれはどうして?」
 真斗の青白い頬が、硬く締まるように引き上がった。
「覚えてないけど」
「私、今回のことがあって考えたんだけど。あれはユッコの体を覆っていた生地が欲しかったんじゃないの? ユッコのタイツだけ一部を切り取るとバレバレだから、ユッコの切れ端は確保した上で、私のもふたりぶん切り刻んでわからないようにしたんじゃないの?」
「だから、覚えていないって。もし、そんなことがあったなら、子どもの時から鋏のカッコ良さの虜だったから、切りにくそうなタイツの切れ味とか、試してみたかったのかもしれない」
 ──お兄ちゃん、ユッコのことを好きだったんじゃないの? それは訊かずにおいた。
「──ごめん。勝手な推理して。怒った?」
「怒ってねえよ。覚えてないんだから。たぶんそれ、誰かと記憶違いしてるよ」
「──わかった。なら、別の質問。おじさんの……シェーレ01の作品の端切れたちは、チカンした女性たちから集めたものだと思う?」
「そんなの、わかんねえよ。想像もつかない。俺はチカンしたことも、されたこともないし。彼に会ったことも見たこともないし。どんな感じの人?」
「会いたいと思う? 崇拝する鋏の神に。妹にチカンしたかも知れない人に」
発した言葉は、兄に対して優位に立ったような快感を秋江にもたらした。
 真斗は、秋江をしげしげと見つめた。
「おまえってさ、相当……」
 パソコンのディスプレイに向き直り、シェーレ01のページから、マウスをクリックし、キーボードを叩いて何かを入力すると、秋江に見えるように体をずらした。
「彼のツイッターに、ダイレクトメッセージ送る。見て」
「えっ、ツイッターを」
「どうせ、裏アカに決まってんじゃん。連絡がとれればいい」
【 初めまして。シェーレ01さんの、崇拝者のひとりです。美由紀さんの親友、東坂秋江の兄でもあります。是非今度、秋江と共にお目にかかりたいのですが、いかがでしょう。お返事お持ちしております 】
「うわ、ちょっ、えっ」
 秋江がちゃんと返事をしないうちに、真斗は送信をクリックしていた。
「相当焦るだろうな。何で自分にたどり着いたのかって。これでいいだろ。うまく釣れれば、呼び出して、ちゃんと訊けばいい」
「──うん。かたじけない。感謝感謝。じゃ、これで。またよろしくです」
 秋江は、動揺を引きずりながらぴょこんと頭を下げ、ドアノブに手をかけた。これで良かったんだっけ?
「おいっ」
「ん?」
「気をつけろよな……いろいろと」
「──ありがと」

 自分の部屋に戻った秋江は、開きっぱなしになっていたレポート用紙をあわてて閉じた。
真実を知る方向に、向かっているのか? あああ、まずい。お兄ちゃんは、おじさんと私が会っているのを知らない。そこまで話したら、おじさんとの約束が。お兄ちゃんとおじさんと三人で会うとしたら……会うまでに、おじさんと話を合わせておかないと。ホームで話したきりということにしておかないと。また、おじさんをつかまえないとまずい。もう、何が、何を、どうすれば……いいのか。ますます複雑になってきちゃった。でも、前には進んでいる。よしっ!! なるようになれだ!!
 秋江は、とりあえず肺の中の空気を入れ替えようと思った。窓を開けて、深呼吸だ。冷たい外気を奥まで吸って、白い息を吐く。向こうに見える竹林がぞよりぞよりと揺れている。と、脳裏に幼い時に見た蛇の皮が浮かんだ。脱皮した抜け殻。竹林の小さな社の横。竹じゃない樹に、幅のある白っぽいひもがひっかかっていた。なんだろう。近づいてじっと見ると、すけすけのホースみたいなものが巻きついている。魚のうろこみたいな模様。──ママ! 走ってママを呼びに行き、手を引っ張って連れて戻った。なんて綺麗なんだろう。宝物を、みつけてしまった!
 ──ああ。これはね。へびさんが脱皮した抜け殻なの。
 ──だっぴ?
 ──あーちゃんも、お洋服が小さくなると大きいのに変えるでしょ。へびさんも、大きくなるときに、今までのお洋服を脱ぐのよ。
 ──だから、こんなかたち?
 ──そうね。タイツを脱いだあとみたいね。
 そうか。急に蛇の脱皮のことを思い出したのは、お兄ちゃんがバレエのタイツを切った時の話をしたからだ。白いタイツ──。タイツというより、蛇の脱ぎ捨てたものは、繊細なレースのストッキングのようだった。ねえ、ママこれ欲しい。と言ったら、このままにしておきましょう。へびさんは、東坂のおうちを守ってくれているのよ。と教えてくれた。もっと大きくなってから、蛇の抜け殻は、縁起物のお守りになると知り、やっぱり、持ってくれば良かったと言ったら、あの場所でいいの! と、睨まれたのだった。
「まだ、蛇は冬眠中……か。眠っている間に、パワーアップした夢とか見てんのかな」
 ひとりごちると、冷たい頬に手をあてて、空を仰いだ。

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