第9話 絶対に欲しいもの かがわとわ


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「ねえ、うちに来ない? ピノンでケーキ買ってさ、一緒に食べない?」
 そう言ったユッコは、言ったそばから口を押えて、
「あっ、やばい。だめだ。ごめん」
 と、否定してきた。
「何それ。口はもうピノンのケーキ、心はユッコのうちになっちゃってるんだけど」
 秋江は口を尖らせた。今日のユッコは、何かおかしい。
「なんでだめなのよ?」
 ユッコを、もう一度下から覗き込んでちょっと睨むと、
「お母さんにね、友だちと会うって出て来たの」
「友だちじゃん」
「アッキーだとは言わないでおこうと思って……あ~そうだった……ごめん」
「おばさんが、私と会うのは困るから? 夫がチカンしたかも知れない子が来たら……」
 ユッコは、また何か考えている様子だったが、
「お母さんも可哀想だし、アッキーだって」
「おばさん、家にいるもんね」
「私が出る時はいたから。でも買い物とかに行っちゃったかも知れないし……そこまでわかんないけど、いる確率は多いから」
 秋江は、邪慳に扱われた被害者のような気持ちになって、イラッとした。
「じゃあ、もう帰る」
 いきなり駆け出すと、狙い通りにユッコが追ってきた。
「ごめん! 待って!」
 ユッコの手が、秋江の腕を捉えた。
 振り向きざま、秋江はユッコに、
「さっきから、ごめんて何回言った? ねえ、どうして今日は私と会う気になったの?」
「──それは。やっぱり会いたいなと思って」
 ユッコの手が、おずおずと離れるのを残念に思いながら、
「ふ~ん。受験のあれこれで忙しいのに……ありがと」
 秋江は、ユッコの瞳が揺れるのを見逃さなかった。──なにか、ごまかしてる?
「今から、ピノン行ってケーキ買おう!」
 今度は秋江がユッコの腕をとった。ユッコの体がぴくりと震えた。
「え、あの、だから、それは」
 焦るユッコがおかしくて、秋江は奥歯を噛みしめて笑いを殺した。
「ピノン行って、ケーキ買って、また公園に戻って食べよう。どうせ往復十分じゃん」

 駅前のピノンから戻ったふたりは、公園のあづまやに設置された木造り台に腰掛け、間にケーキの箱を置いた。フォークが無いから手づかみになるので、紙ナプキンを入れようとする店員さんに「それの代わりにおしぼり下さい」と、図々しく要求した。店員さんは、カウンターの引き出しから使い捨ておしぼりを二個だして、ナプキンと共にくれたのだった。自販機で買った「あたたか~い」お茶缶で、ふたりは冷えた手を温める。
「雨、今にも降りそうだね」
「それじゃなくても日が短いのに、ちょっと薄暗くなって来た?」
 おしぼりをしっかり使って、秋江は季節のフルーツタルトを、ユッコは、生クリームがたっぷり乗ったムースケーキに手を伸ばした。
「私、ケーキを手づかみで食べるのって、初めて」
 楽しそうに微笑むユッコ。秋江は、体の奥がとくりと震えるのを感じた。食べかけのタルトを箱に戻して、スマホを構える。
「ワイルドな手づかみケーキ女子、でインスタあげちゃおうかな」
「やだ、もう。どこがワイルドなのよ。清く正しく美しくなんだから」
「だって、ほっぺにクリームついてるよ」
「え、どこ?」
「そっちじゃなくて、もっと左の……あ、ユッコには右か……もうっ」
 秋江は、中指を伸ばしてユッコの頬についたクリームをとった。その指を自分の口に持って行くふりをして、ユッコの顔前に突き出す。
「ほれ」
「──え」
「自分のでしょ。ちゃんと食べましょう」
 ユッコの唇が、何か言いたそうに横に開き、そのまま中心に向かって丸くすぼまりながら接近し、秋江の中指を包んだ。秋江はなぜか、もっと小さい頃に、金魚に指を吸わせて遊んだことを思い出した。
「──六度四分」
「──何?」
「ユッコの体温。当たり?」
「アッキーったら、もうっ!」
ユッコの息から、バニラエッセンスの香りがした。
 た。たた。たたたたた。
 あずまやの屋根で、雨粒が跳ねる音がしたと思ったら、四方があっという間に薄く煙るカーテンになった。こちらに向かって避難してくる人たちが見える。
 この雨が上がったら、帰ろう──ユッコが言う前に、私が──。秋江は空になったケーキ箱をじっと睨んだ。

            ◆

 ──イライラする。何だろう、この意味不明なイライラは。ユッコと会えたのに。数時間前まで一緒にいたのに。秋江は、これまでも周りの不理解や迎合に対して抵抗する気持ちの強い人間であった。それでも、外に出さずに少女らしさを演じてきた。いや、演じなくともユッコに寄せる気持ちなどは、夢見る少女よりのそれだった。
 つい、最近までは。
 どこかで、スイッチが入った気がする。何が、誰が、スイッチをONにしたのだろうか。
 イライラする。そのイライラは、今までの攻撃的な感情でもなく、もどかしさでもなく、不安に近い。ユッコとデート出来て、前より親密な感じになってきたのは、すごく嬉しい。 
 ただ……なんていうか。ユッコは会うたびにキラキラしてきて、それは紛れもなく、一直線な意志の現われであって。宝塚という大きな目標に邁進しているからであって。秋江は、もちろん応援しているし、いつか「おめでとう」と抱きつける日を楽しみにしているのは間違いないのだけれど……。
 ──秋江には、目標がない。どうしても欲しいものが。それはユッコだと思っていたけれど、もっと、自分が自分として機能するための……。
「思春期の苛立ち解消は、運動したり、好きなことに打ち込むと良いでしょう」
 お決まりアンサーで、秋江の感情は収まらない。秋江が秋江になっていくためのスイッチを押された気がするのだ。スカートを切られた時? 触られた時? やっぱりユッコ?  ユッコのお父さんに、ついて行った時? カラオケ店で話をして──。
 
晩ごはんのテーブルには、珍しく兄が先についていた。ママが、プレースマットに、食器のセッティングを始めたところだ。
「ねえ、お兄ちゃんの目標って何?」
「世界征服」
「ふざけないでよ」
「官僚にでもなって、政策を裏支配──だけじゃ済まない世の中だし。どっしよかな」
「鋏は?」
「あれは、趣味」
「それだけ?」
「──なんで?」
 シェーレ01については、まだ「知っている人だと思う」としか兄に伝えていない。「知ってるって、マジかよ」と興味津々で食いついて来たので、いずれ話すことになると思う。
「ちょっと、手伝ってよ」
 ママが秋江に声をかける。
「私だけ? お兄ちゃんは手伝わなくていいの? 男だから?」
 ママも兄も聞こえてないふりをする。
「ママは、何になりたかったの? パパのお嫁さんになりたくなる前。今は? もうこれで、人生いいの?」
 秋江の投げた質問に、
「お互いの利益がつりあう人を探したんだろ。お父さん言うところの、成果に結びつく行動をとったってこと」
 兄が代わりに「ふん」と鼻を鳴らして答えるそばから、ママが、
「真斗、またそんなひねくれたこと言って。大恋愛よ、大恋愛」
 と、おどけてみせた。
「お父さんは、今日も外なんだね」
 秋江が、三つしかセッティングされないプレースマットを見て呟く。
「忘年会のはしごだって。今日か明日で仕事納めの人たちが多いから、今がピークなのよ」
 ママの声のトーンは、心配よりも、どこか楽しそうだ。
 ──そうか。明日までか。たいていの会社員は、二十八日までなのか。秋江は小さく「あ」と声を漏らす。

             ◆

 翌朝、秋江は大倉山の駅前で、ユッコのお父さんを待ち伏せした。ベージュのコートの背高のっぽは、予定通りの時間に姿を現した。
「おじさん!」
 駆け寄って見上げると、怪訝そうに眉を寄せた直後、緩やかな笑みに変わった。
「驚いた。君か」
「えっと、明日から、会社お休みですか」
「ああ、そうだけど」
「良かった。セーフ!」
「何が?」
「おじさん、今日は会社の帰りに、日吉のカラオケ店で制作の続きするんですか」
 電車の時間までまだ間があるが、矢継ぎ早に訊く。
「いや、今日は寄らないつもりだが」
「忘年会ですか」
「もう、済んだ。で、何?」
「仕事終わって、日吉駅に着く時間を教えて下さい。改札前にいます。これ、私の電話番号です。ではっ!」
 おじさんが、呆気にとられている隙に、秋江は走り去った。

 おじさんから九時過ぎに「十五時。日吉」という短いメッセージが届いた。半分あきらめていた秋江は小さくガッツポーズをし、学校の友だちと急に会うことになったと言って、家を出た。念のため早めに来て待っていると、時間通りにおじさんがやって来た。
「うわ。来てくれたんですね」
「あのやり方じゃ、来ないわけにいかないだろ。美由紀の友だちじゃなかったら、無視していたところだ」
 言葉はきついが、声色はソフトである。
「もっと遅い時間になると思っていました」
「今日は土曜日だから、臨時出勤みたいなものだ。今年の仕事納めは、昨日のところが多いと思うよ」
「じゃ、ほんとにセーフだ。この前みたいなお話をして欲しいんです」
「この前みたいな?」
「人は自分の経験や知識内の解釈で、相手の人物像を理解したつもりになる。それで安心したいからだ……とか」
「よく、覚えたね」
「気に入ったので、忘れないように繰り返しました。おじさんの説明は、私が思ってたことを難しく言ったものだから」
 おじさんの案内で、西口にあるレトロなカフェに入った。秋江は家族や親戚以外の男の人と喫茶店に入るのは初めてだ。この前のカラオケ店もそうだが、ユッコのお父さんなのだから親子感覚でいればいいのだし、何も悪いことはしていない。
「君とは、哲学が合いそうだ」
 おじさんは、両手を緩く組んでテーブルに乗せ、茶化すように微笑んだ。
「ここはね、プリンアラモードがあるんだよ」
 秋江には、コーヒーと一緒にスイーツを頼んでくれた。ボート型のガラス皿にカスタードプリン。その上にホイップクリームとさくらんぼ。周りを、オレンジ、リンゴ、パインが鮮やかに彩っている。
「豪華! コンビニのよりずっと大きい」
「へえ、こんな昭和チックなものをコンビニで売ってるんだ」
「昔の喫茶店のが先なんですか。プリンアラモードって、コンビニでつくった新商品かと思ってました」
 秋江は、クリームをスプーンですくった時、ユッコの唇とその奥の湿った体温を思い出した。
「──おじさん。何でユッコに私と会ったって話したんですか。私、昨日ユッコから聞いたんです」
「私から話したんじゃないよ。美由紀は、私が君とカラオケ店から出てくるところを目撃したそうだ」
「私にはそういうふうに言いませんでした。ユッコの家は、何でも言うのねって驚いたんです。……ユッコは私たちを見かけたのに、声をかけなかったってことですね。おじさんが、私に秘密の布を見せたとも言いました。──あれは、おじさんが私だけにこっそり教えてくれた秘密だったんじゃなかったんですか!!」
 話すうち、どんどん語気が強くなるのを押さえられない。
おじさんは、手にしていたコーヒーカップをゆっくり置いた。
「美由紀が目撃した。何をしていたのと詰め寄られた。ささやかな趣味と答えたが、まだ鎮まらないので、端切れ工作とごまかした──端切れ工作と言ってしまったことは、自分でも収まらない。いくらごまかしでも、あれは、工作なんていう、甘い向き合い方のものではないから」
 口元は微笑んでいるのに、目は怒ったように光っている。だが、その目の奥を見て、秋江はこの話はおじさんが本当の事を言っていると悟った。
「──ユッコが、私を試したってことですね。なんかちょっと変だなと思ったんです」
「いいかい。私は家族に私の端切れに纏わることは秘密にしているんだ。今後、美由紀が私から情報を聞いたと言ったら、すべて嘘だと覚えておきなさい。自分から話すはずがないじゃないか。何でも話すのは、美由紀だけだ。考えればわかることだ。言うはずが、ないじゃないか。カラオケ店で偽名を使い、会社のロッカーに道具を隠してまで没頭する、大切な、私の──」
 おじさんの指先が、細かく震えている。秋江は、工作ってそんなにおじさんをむかつかせる言葉なのだろうかと、わけがわからなくなった。
「趣味の工作とは違うということですね」
 秋江は、難しげな相槌を頑張って返してみた。
「最初に駅のベンチで君に作品を見せた時は、趣味と言ったね。まあ、趣味と言ってしまえばそうなんだろうが。たとえば、妻はパッチワークが趣味で、なかなか洒落た作品を創るんだが、そういうものとは次元が違うんだ。私は彼女なんかよりずっと前──物心ついたころから、特定の条件を持つ布に興味を持っていた。君くらいの歳には、もうだいぶ集めていたよ。その条件の布でなければ、欲しくないんだ。それでなければ、意味がないんだ。欲しいものは欲しい。どうしても手に入れたい。収集するのにとても苦労するんだが、それだからこそ。私の端切れ制作は、パッチワークの精神とは全く異なる」
 欲しいものは、欲しい──。秋江は、そもそもおじさんと会わねばと思った理由を思い出した。
「私、欲しいものがわからないんです。どうしても、欲しいもの、何と言われてもやりたいものが。ユッコは目標に一直線だし、パパはやりたいことを現実化するには、未来から今を見ろって言うし。どんどんイライラしてくるんです。でも、イライラの原因は別にあるような気もして」
 プリンアラモードの皿は、秋江があちこちつついたせいで、てっぺんが欠けたプリンを真ん中に、噴火後の世界みたいになっている。
「欲しいものがわからないという人間が、私にはわからない。理由づけして決めるものじゃないんだ。君は、今、十五だろ。それともまだ」
「四月生まれなので、とっくに十五です。ユッコよりお姉さん。見た目は逆だけれど」
「ありきたりな言い方だが、十五でわかってなくても気にしなくていいよ」
「期待していた答えと違います。やりたいこと、欲しいものがあると、毎日楽しいだろうなって。そうでない私は、何が足りないんだろうって」
 おじさんは、残りのコーヒーを飲み干すと、鞄の中からはがき大の小さなスケッチブックを出した。続けて4Bの鉛筆を取り出すと、黙って秋江を見ながらスケッチを始めた。
ちらちら顔を上げながら、あっという間にボブカットの輪郭をとっていく。鉛筆の手を止めずに淡々と言った。
「何かを創る時──美術でも音楽でも小説でも芝居でも──楽しいだけでは創れないんだよ。自己肯定だけでは、物は創れない。楽しんでいるうちは自己肯定の創作でいい。趣味でも──のめり込んで、突き詰めたくなると、それは肯定だけじゃ終わらないんだ」
 スケッチブックには、どこか不安な顔をした秋江がいた。と、髪の両脇に何かを付け足している。
「あ、猫の耳」
 おじさんは、描き上げた素描を見つめていたが、消しゴムを出して猫の耳を消した。
「あの、えっと、ユッコが前に言ってました。うちの家族は仲好しなのよって。お父さんのピアノでお母さんと歌ったりするって」
 ゆっくり顔を上げたおじさんは、言葉を区切ってはっきりと言った。
「今でも同じことをしているよ。妻も美由紀も大切な家族だからね」

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