第8話 お針子     黒崎つぐみ

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イブの夜、美由紀は楽しかったのだろうか?形だけのクリスマスパーティー。
順子は冷蔵庫の隅の、キャセロールに避けてあった食べ残しのビーフシチューを温め直し、ひとりお昼の食卓に着いた。午前中遅くまで寝ていた美由紀は友達に会う約束があると出かけていった。あれから3日経っても、いつものように仕事へ出かけて行く邦夫に、イブの夜、パチンコ屋で見かけたことは言えずにいた。あの日、冷たい雨に降られ、すっかり冷え切っていた体は3日経った今朝になってもまだ冷たい気がした。
邦夫もあの日は傘を差さずに帰って来たという。
「迎えに来て」
そのひとことが出ずに濡れて帰宅した。その電話があればもっと近くに感じられただろう。

 昼過ぎ、今にも降り出しそうな暗い雲が鬱陶しい天気だったが 順子は気分を変えたいと思った。正月の支度にはまだ早い師走の街にパッチワークの布を見に出かけた。薄手のコートを羽織ったが、「新しいコート一枚くらい買っても罰は当たらない」と少し奮発する冒険心だけをお財布に詰めて、結局、布だけを買ってくる自分を良く知っていた。
ユザワヤは横浜ベイサイドにもある。しかし順子は日吉で乗り換え、市営グリーンラインに乗り、都筑センター北駅で降りる。「あいたいショッピングタウン」にその店はあった。横浜駅のキラキラしたベイサイドエリアは若向きの店が多く落ち着かない。どちらかと言うと100円ショップなどが並ぶ庶民的なセンター北駅付近のほうがゆっくりと買い物ができた。ショッピングタウンは、ところどころにまだクリスマスイルミネーションの残骸があった。広い店の中だが順子が行く場所は決まっている。綿の布が積んである場所だ。籠の中には半端な余り布が1メーター200円と値札をつけられて盛られていた。他の籠には「見切り品」とポップがある。パッチワーク用の正方形に切られ20枚セットになっているものもあった。順子は今までの経験上、型紙によって正方形ばかりではなく六角形や長方形などいろいろなパターンに応用が利く布を探す。布の厚みや色合いなど、好みのものをあれこれ選ぶとあっという間に小一時間が過ぎていた。
順子はこの店に来るといつも感じることがある。数人の友達同士で来る人と、一人で来る人との間には明らかに差があるように思う。友達同士で来る人は賑やかだ。
「あなた、これにしなさいよ」
「これ可愛いと思わない?」
 そんな会話を耳にするたびに順子は一人で来て良かったと思う。見切り品の籠の中から数枚と、巻かれている反物を数本、脇に抱えレジに並ぶ。寸法で布を裁断する手間がかかるので手芸店の会計はいつも待たされる。並んでいる間、せっかく来たのだから他の店も覗いて帰ろうと長い待ち時間に腹を据えた。「帰りにスーパーに寄って白菜と豚バラ肉を買い、きょうは鍋にすればいい」と、冷蔵庫に残された食材を思い出しながら、ショッピングモールをゆっくり歩いていた。ショーウィンドウに素敵なコートが飾られている。足を止めた。
 突然「あのー」と後ろから声をかけられた。ネイビーのトレンチコートを着た40代くらいの男だった。
「すみません。突然。こういうものなのですが……」
 と名刺入れから出した名刺には「田辺プロダクション 鈴木公平」とある。
順子は何も言わずに後ずさった。いつでも逃げられる用意をした。
「ちょっとだけでいいんです。お話聞いてもらえますか?」
「急いでいるんでけど…」
 そんな歩き方ではなかったはずだ。
「5分、いえ3分でいいんです。そこのベンチに腰掛けませんか?」
 男は通路脇のベンチを指差した。順子は受け取ってしまった名刺に眼を落とした。順子の頭の中には華やかな芸能界と、それを餌にたぶらかす詐欺師の構図が浮かんだ。だが、それと同時に田辺プロダクションと言う大手の名前と、娘の美由紀が憧れている世界と無縁ではない鈴木という男の人相に興味を持った。
「3分なら……」
 そう答えていた。
育ちの良さそうな童顔である。聡明そうな鼻梁に黒縁の眼鏡が少しずれてかかっている。
「僕は岡本希恵のマネージャーなんです。元TKBの。ご存知ですか?」
「はい、なんとなく」
「元アイドルですが、最近は鳴かず飛ばずでして」
「はあ」
「路線を換えて、バラエティやドラマからもお呼びがかかるように、何か得意なことはないの?って聞いたんですよ。そしたらパッチワークならやったことがある、っていうもんですから、家にある作品を持ってこい、っていう流れになって、インスタにあげたりしたら、話題になっちゃって。売って欲しいという問い合わせが沢山来るようになったんです。会社としてもこれはいけるんじゃないかって、若いデザイナーつけてブランド立ち上げて希恵キルトっていうお店まで出来てしまったんです。ウェブ上のお店なんですけど」
 一気に鈴木はまくしたてた。
「そしたら彼女、これは自分が作ったんじゃない。お母さんが作ったんだって言うじゃないですか。インスタでアップしたのは10点くらいなんです。でもそれではお店としてマズいだろう、と。実際商品がどのくらい必要なのかわからないんですけど」
「それで?」
「作っていただけないですか?布は提供します。お礼も弾みます」
「そんなことまでマネージャーさんのお仕事なんですか?」
「話だけ先行してしまったんです。もしあれは嘘でした、なんて言ったら炎上ですよ」
「彼女のお母さんに作ってもらえばいいじゃないですか」
「もちろん、作ってますよ。必死で」
「どうして私に?」
「あなた、口が堅そうなんです。僕わかるんです」
 確かに口は堅い。夫に何も怖くて言い出せない。友達も少ない。
「ひとりで手芸店に来る人で、パッチワークの布を買って帰る人を待っていたんです。これ見ていただけますか?」
 彼が持っていた紙袋を広げると、中には輸入品のアンティークの布が数枚入っていた。「いつかはこんな布を使ってみたい…」順子は手に取ってうっとりと眺めた。
「ある程度技術を持っている人でなければ無理ですが、有名な人や教えているような人では駄目なんです。なにしろ希恵はちょっと上手な素人なのですから」
(私くらいがちょうどいいということか…。)
「こんなことを言って失礼だとは思うのですが… この布で、この型紙でまず作ってみていただけないでしょうか?」
「テスト?」
「申し訳ない。でも、もしお仕事としてやっていただけるなら、しっかりお金はお支払いします。お電話番号だけお聞きしてもいいですか?もし電話番号を僕に教えるのは抵抗がおありでしたら3週間後、またここでお会いできますか?」
 順子はぼんやりと鈴木の顔を見ながら考えた。自分の趣味がお金になるなんてこれまで考えたこともなかった。好きなことでお金が頂けるなんて、自分の実力では程遠いことだと思っていた。夫の収入だけでここまで経済的な心配をしないでやって来た。しかしこれから先も平穏な日々が来るという確信はない。現に、邦夫の危うさに不安を感じていた。美由紀の宝塚受験でこの先、お金がかかるであろうことも順子には予測がついた。親の資金力がなかったせいで断念することだけはさせたくない。少しでも自分にも経済的な援助が出来たら……。収入がゼロの順子には魅力的な話だった。不意に自分の身なりが気になった。「この鈴木と名乗る男には私が経済的に困窮している女に映ったのだろうか」数年前このショッピングセンターで買った薄手のコートがみすぼらしく感じた。お化粧にも時間をかけない。白髪がちらほら見える髪も染めようとは思わなかった。今年のトレンドが何か、特に関心がなかった。娘の美由紀は何を着てもよく似合う。手足の長い、背丈のある美由紀を見ていると、寸足らずの自分は何を着ても見映えがしないことは身に染みてわかっている。パッチワークはそんな自分を慰め、時にはひとに差し上げて喜ばれることもあった。タダだから喜んでくれるのだ。お金にはならなかった。

 「型紙、見てみませんか?」
 彼がゴソゴソと紙袋の中から出した紙を膝の上で広げた。それは思ったより小さめのクッションだったが、アンティックな布で作ったところを想像すると、その一つだけでリビングのソファの雰囲気を変えるアイテムになりそうだった。
「いいでしょう?」鈴木は順子の横顔を覗き込む。
「実は僕もよくわからないんです。でも他では売っていないらしいんですよ」
 順子の気持ちが揺れているのを待ちきれないように
「あっ、お急ぎだったんですよね。僕もこれから社に戻ります。東急の日吉駅ってグリーンラインに乗ればいいんですか?」
「私もそちらの方角です。渋谷方面ですか?」
「じゃあ、電車の中でもう少し話せますね」
 順子は日吉駅に着くまでの12分間であらかたの仕事の内容と報酬を聞いた。「ゴーストライター」ならぬ「ゴーストお針子」だった。家族にもこの仕事のことは内緒にして欲しいという鈴木の言葉に、順子は快く頷いていた。携帯番号も告げていた。誰かの嘘を隠す仕事は自分も一緒に嘘をつくことだという罪悪感より、必死で仕事につなげようとしている鈴木に嘘はないような気がした。手仕事で報酬を得る内職なのだと思うことにした。初めから自分が作ったものがどんな風に使われるか、知らされない方が、順子にとって気持ちの負担がなく、ありがたかった。しかし正直に話した鈴木に好感さえ感じていた。
電車が日吉駅に着くと、渋谷方面のホームに行こうとする鈴木に
「私、下りホームなので…」と別れを告げた。
「あっ、そうなんですね。じゃあこれ」
 と布と型紙が入った紙袋を渡された。その頃には順子の顔に笑みさえ浮かぶようになっていた。鈴木は慌てて
「いけない!一応手付けと言うことで…」
 と言いながらコートの内ポケットから白い封筒を取り出し、順子に手渡した。順子は遠慮がちにそれを受け取ると紙袋の布の間にそっとしまった。日吉駅に着くまでずっと屋内だったので気づかなかったが、外に目をやると路面が濡れている。雨が降っていたようだった。

17時30分。
順子は下りホームから中華街行きの各駅停車に乗った。
電車の窓から道行く人が見えた。昨日までとは違った景色に見える。
傘を差している人はいない。雨は上がったようだ。

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