第6話 斑の羊     かがわとわ

hasami.jpg あの日、制服のスカートが切り取られていたショックで、秋江はそのまま早退した。担任から両親にも知らせが行った。秋江は学校にも両親にも、知らぬうちに切られたと説明し、電車で触られたことは黙した。体調が悪くなり、遅刻した事とは無関係だと。運悪くたまたま被害に遭ったと装った。学校からは、保護者と生徒に向けて「変質者情報」の一斉メールが送信され、ママは心配のあまり、事件後一週間は車で学校まで送ってくれた。その後、似たような被害情報が挙がらなかったこともあり、切り取り事件は周りの話題から消えていった。が、秋江の気持ちは収まりようがなかった。
 ユッコのお父さんが。きっとそうだ。布の切り貼り。愛おしそうになぞっていたあの指。秋江のスカート生地もおじさんのコレクションに加わったのだ。
──布たちは、おじさんの集めた宝物なんだよ──
静かな低い声が、耳元で蘇えるたび、それは不快さから怒りへと変わって行った。舌の黄色いおやじは無実で、チカンは、ユッコのお父さんだった。切った上に、触ったのだ。それとも、切った人と触った人は別? このまま、黙っていれば、忘れてしまえばいいのか。この先、ユッコには知らんふりして接していくのか。それとも適当に理由をつけて、もうユッコと会わなければいいのか。──そんなの、嫌だ。ユッコに会えなくなるなんて嫌だ。
電車通学に戻った秋江は、心臓をばくばくさせながら、こっそりユッコのお父さんを後方からスマホで撮影し、十月の末にユッコを呼び出した。
「この人、チカンなの」
 激しく動揺したユッコは、自分の誕生日に、「父のおごり」とディズニーランドに誘ってくれた。ふたりで一万じゃ、チケット代には全然足りなかったから、ユッコのお小遣いをはたいたのかも知れない。自分の誕生日におごってくれるなんて、よっぽどお父さんのイメージを挽回させたかったんだろうな。ユッコに負担がかかる方向にするつもりはなかったのに。──まさか、本当にお父さんから? 話した? 有り得ない。父親に、チカンしたのかなんて、普通、正面切って訊けないもの。──でも、ユッコなら。──ううん。やっぱ、有り得ない。──楽しかったな、ランド。次はいつ、会おうかな。だって、ユッコは、私の誘いを断れなくなったから。当初の予定と、会える切り札が大きくかわっちゃったけど。
──なのに。あれからユッコにLINEしても、「受験勉強が忙しいの。ごめんね」のレスばっかり。ちっともいい返事が来ない。こっちはエスカレーターだから、ユッコの大変さはわからないにしても。私、ランドで何か怒らせるようなことした? 被害者は私なのに、それはないっていうか。あんまりにも、冷たくない? 
 秋江は、自分ばっかりついていない気がして、むしゃくしゃする日が続いた。登校時は、一号車の女性専用車両に乗るべく、早めに家を出て列に並んだ。ユッコのお父さんとニアミスの無いように。さすがに帰りは、女性専用両とは限らなかったが。
 終業式を明日に控えた十二月二十三日。授業が終わった後に、自由が丘の駅から乗車した秋江は、ドアが閉まる間際に飛び込んで来た男に目をやり、驚愕した。
「やあ。こんにちは」
 ユッコのお父さんは、完璧なまでの微笑みをたたえて近づくと、秋江の横に立った。朝のラッシュのように混んでいないので、逃げるのに難くない。秋江は、無言でつり革から手を離すと、電車の揺れに少しよろめきながら歩き始めた。
「待ってよ。秋江ちゃん」
 ──え。
 背をむけたまま固まってしまった秋江に、おじさんがゆっくり近づいた。なんで私の名前を。話したのね、ユッコ。
「君は何か大きな誤解をしているようだ」
 あの、低くて落ち着いた声に振り向くと、おじさんが諭すように笑んでいた。周囲の好奇な視線をキャッチした秋江は、そのまま少し場所を移動し、小さな声で矢継ぎ早に問いかけた。
「何でここにいるんですか。日吉で降りるか乗り換えるかじゃないんですか。今、会社に行っている時間じゃないんですか」
 おじさんも、声のトーンを下げて返す。
「仕事で自由が丘に用事があったんだよ。これから帰るところだ」
「会社に?」
「いや、今日は直帰にして、日吉に制作に寄ろうかと」
「チョッキ?」
「ああ、直接帰るってこと」
「──ユッコが……美由紀さんが話したんですね」
「ああ、びっくりしたよ。酷い濡れ衣だ」
「私、おじさんのすぐ前で背を向けていたんですよ。そしたら……チカンに……ユッコに聞いたでしょ? 別の人だと思ってたのに。スカートが切れて……」
「おいおい。短絡的に結びつけすぎだよ。僕が端切れの作品を見せたからって」
 おじさんが囁く声は、終始穏やかな川の流れのように乱れがなかった。思い切って目を合わせると、頬骨をゆっくり上げて見つめ返して来た。
 ──優しい目だった。ユッコとよく似た切れ長の目。
 
 秋江はおじさんと一緒に日吉で降りた。この間話してくれたカラオケ店で制作するというので、
「ついて行っていいですか。作品を創っているところ、見たいです」
 と、自分から切り出したのだ。疑っていたことを恥じ、ユッコにもなんて謝ったらいいのか混乱していた。どう挽回すればいいのだろう。おじさんは、鼻の先に拳をあててちょっと考えてから、
「ああ、美術部だったね」
 また静かに口元をほころばせた。
「──嘘です。ごめんなさい」
 これ以上こんがらがるのは嫌だったので、はっきり言ってしまうと、理由を訊かずに、
「そう」
 短く答えて、
「いいよ。ついて来なさい」
 秋江は、おじさんについて、カラオケ店に入り、おじさんが会員カードを提示する後ろに控えた。親子にしか見えないだろう。
「田中様、ただいまお部屋が塞がっておりまして。ちょうどあと五分ほどで退出されるお客がいらっしゃいますので、少々お待ちいただけますか」
 カウンターの店員が、手慣れた様子で受け付け用紙を差し出した。
 指定された部屋番号のドアを押して入り、秋江はおじさんの向かい側のソファーに座り、学生カバンを横に倒して置く。
「偽名使って利用しているんですね。秘密基地みたい」
「そんなもんだね。制作に没頭したいから、家族にも内緒だ。そのほうが、わくわくする」
「なんだか、子どもみたい」
「娘の友だちに言われると、どうも変な感じだな」
「ごめんなさい」
「謝らなくていいよ。人間、やりたいことの前では、大人も子どもも同じだ」
 おじさんは、今日は画板入れのような大きな袋を持ってきていて、材料を出す前に、メニューとタッチパネルとマイクをテーブルからどけた。
「そんなに大きな袋で家を出たら、バレちゃうんじゃないの?」
「これは、会社のロッカーに置いてある。今回は貼るより、切る作業が多いから。あ、秋江ちゃん、ドリンクバーから好きな飲み物持ってきなさい。お腹は空いている? 何か注文しようか」
「飲み物だけで。お腹空かして帰らないと、家で追及されちゃう。うちの学校は、下校時の買い食いや、ファストフード寄るのも校則違反。おじさんの分も持ってきます。何がいいですか」
 おじさんは、袋から長方形のマットを取り出し、テーブルに置こうとしてやめて、
「おしぼりは三つ持ってきてくれるかい。それと、おじさんはホットコーヒーを。悪いね」
 秋江がメロンジュースとコーヒーを持って戻ると、おじさんは紙おしぼりをひとつ開けて、テーブルの端から端まで丁寧に拭いた。さっきのマットをセットしてから、空いた端っこに飲み物を置き、もうひとつおしぼりを開けると、今度は自分の手を、長い時間かけてぬぐった。
「これは?」
「カッティングマットだよ」
 膨らんだ巾着を取り出すと、逆さに振って、色も材質も大きさもとりどりの布の山をつくった。長い指が山を崩しながら、布をより分けていく。
「今日はこれとこれとこれと……」
 秋江は目を凝らして、制服スカートのチェック柄を捜してしまった。──無い。秋江と今日会ったのは偶然なのだから、あらかじめ隠しておく必要もないはず。だから、おじさんはやっぱり犯人じゃない。それとも、ユッコの追及でとっくに証拠隠滅済み……まだそんなことを考えてしまう自分は、なんて嫌な子なんだろう。
 使わない布をまた巾着に戻すと、今度は丸い刃がついたカッターを握った。
「わ、可愛い形ですね」
「ロータリーカッター。こうやって……曲線を切る時に……」
 グリップ先の丸い刃が、回転して桜色の生地を滑って行く。
「耳の内側──の、一部」
「耳?」
 おじさんは、この前の寄り添う猫の作品を出した。前に見た時より、縞模様の黒や焦げ茶の重ね貼りが複雑化している。手前の猫、ちらりと見えるお腹の部分には、アイボリーのムートン生地が盛り上がっている。
 先の尖ったピンセットで、切り抜いた布片をつかみ、ボンドを少しだけつけて耳の位置に置くと、上からパラフィン紙のようなものを被せて中指の腹でそっと押した。
「すごい……。ひげのところとかも……動きそう」
「もう少しで、完成だ」
「今日?」
「どうだろう。微調整がまだあるし」
「まだ、調整するの? すごいなぁ」
 秋江は、心底感心した。向き合って座っていたのに、いつの間にか体を乗り出して、右から見たり左から覗いたり。怖がっていたことが馬鹿らしくなってきた。
「この間、鋏の話をしていましたけれど、鋏で切らないんですね」
「切るよ。今は複雑な部分だから。鋏は布を採集する時と、布片づくりに必要不可欠」
「──採集?」
「ああ、知り合いに分けてもらったりね。ほら、洋服を買った時に、予備のボタンと一緒に端切れがついてくるだろう? ああいうのをね、いらないからってくれる人がいたりしてね」
「その人は、おじさんがこういうの創ってるの知ってるんですか」
 それには答えずに、おじさんは静かに笑うと、
「見せてあげるよ」
 小さくて薄いスーツケースみたいな箱を取り出すと、ソファーの空いている場所を探してそっと乗せ、蓋を開いた。
「──わっ」
 がっちりとした裁ち鋏。全体にスマートで、長い刃先がわずかにカーブしている鋏。掌に乗りそうなのに、グリップだけやけにしっかりした鋏──。
「こんなに、鋏ばっかり。いろんな種類があるんですね」
「その小さなやつは、持ち歩くのに便利で、しかも性能がいい。これだと、ロータリーカッターのように、細かい作業もできる」
 秋江はつい手を伸ばして、それを触ろうとした。
「待て!」
 突然上がった硬い声に、ぎょっとして顔を上げると、おじさんの目が吊り上がって光っていた。
「ご……ごめんなさ……」
 謝り切らぬうちに、ひどく陽気な笑い声があがった。
「はははは。驚かしちゃったね。ごめんごめん」
 元の、柔らかい笑顔に戻っている。
「秋江ちゃんは、ほら、そのジュースを飲んでいただろう? もし手についているといけないから、まずおしぼりで手を拭いてね」
 差し出されたおしぼりで、丁寧に手を拭っていると、
「鋏の刃を直接触ったりすると、錆びに繋がるからね。前にも話しただろう? 鋏は、刃先がシャープなものが繊細な作業に向いているんだ。それを保つためには、大切に扱わないと。落としたり、衝撃を与えると噛み合わせが狂ってしまうから、気を付けて、あ、刃の部分に手を置かないようにね」
 じゃあ、どうぞ持ってみてと言われたけれど、「やっぱり、いいです」という言葉しかでなかった。おじさんは、そもそも糸を切る鋏と布専用の鋏は別物であるとか、自分の手になじむ鋏を見つけた時は、願望の焦点が合った思いだったとか、難しいことを並べた後、秋江が触れていないのに、クロス布に油を染み込ませてその鋏を入念に拭いた。
「ミシン油でも代用できるけれど、鋏専用の油がある」
「おじさん、鋏へのこだわりが半端ないんですね。──私の兄と気が合いそう」
「お兄さんがいるの?」
「はい。二人きょうだいです。ユッコは、兄と遊んだことがあります。もっと小さい時だけれど。──なんていうか、鋏マニアなんですよね。カタログとか、じっと眺めてたりして。おじさんみたいに性能とか教えてくれないので、今日聴いて、いろいろ……面白かったです」
「お兄さんとは、あまり話さないの?」
「別に仲が悪いわけじゃなくて──。でも、面倒くさいんですよね、お兄ちゃん。私と考え方が合わないって言うか──ええと、物の考え方っていうか」
「たとえば?」
「兄は、お勉強が得意なんです」
 秋江は兄のことを、「勉強ができる」と言わずに、あえて「お勉強が得意」と言った。
「たとえば──国語のテストの文章題ってありますよね? 『作者が言いたかったことは、どれでしょう。次の選択肢の中から選びなさい』っていう、あれ。私、たまに『どれも違うような気がする』と、思う時があって。それを兄に言ったら、『馬鹿だなあ。ああいう問題は、作者の言いたいことじゃなくて、出題者の答えて欲しいこと、問題作った人の意図をくみ取って答えれば、百発百中なんだよ』って。それは、わかるけれど……仕方がないからそうしてるけど、兄はすべてにそんな感じで」
 秋江が口を尖らせると、おじさんは思いのほか嬉しそうな顔をして、
「君は、面白い子だね。いいことを教えてあげよう。著名な作家が入試に出題された自分の小説問題を解いてみたそうだ。『作者が言いたかったことは、何でしょう』の選択肢を見つめて、『困ったな。この中に、答えはないんだが』と言ったそうだよ」
「えっ、本当ですか! ざまあみろ!」
 秋江は、嬉しくて、つい乱暴な言葉を叫んでしまった。おじさんは、楽しそうに笑っている。──この人は、わかってくれるかも知れない。私のことを。
「まわりの大人も、みんな、な~んにもわかってない馬鹿ばっかりなんです。小学校の時、父の選挙カーにこっそり乗って手を振ったことがあって。あ、父は県会議員なんです。そしたら、馬鹿なおじさんやおばさんたちが、『可哀想に。秋江ちゃんは、寂しかったのね』って。私は、ただ自分も立候補してみたかっただけなのに。父は──周りに謝っていたみたいだけれど、あとで、兄から聞いた話によると、お前より秋江のほうが跡継ぎに向いてるなって言ったそうです。別に私、兄のことなんて全然羨ましいとか思ったことないし。かえって妙な期待背負って気の毒だなって。もっとも、兄は父のような仕事をする気はないと言っています」
 おじさんが、ニコニコと頷いてくれるので、話が止まらなくなった。
「学校でも、周りの友だちが、馬鹿ばっかりで。占いが好きなんですよ。みんな。あ、ユッコから聞いてるかも知れないけれど、女子校です。で、この前友だちと数人で『占いの館』に行こうという事になったんです。みんなは、わくわくしていたけれど、私、ああ、くっだらないって、もう嫌で。でもハブられたくないから、行きました。だって、みんな、おかしいんですよ。頭から信じちゃうんですよ。そこは、ひとりひとりカーテンで仕切られたブースに入って占ってもらうんですけど、終わって出てくる友だちが、揃いも揃って『マジですごく当たってる』とか、『三年後に運命の人に出会うって』とか本気で言うんですよ。それは、当たってるんじゃなくて、あんたが占い師に合わせようとしているだけでしょって。胸の奥がイラ立ってきて。自分の番が来た時に、神妙な顔作って『私の今のお母さんは、三人目です』と始めたら、占い師のおばさんが、タロットカードをひっくり返しながら『そうね。ここにそう出ているわ』だって。──笑うのこらえるのに必死でした。でも、私って見た目が歳より幼いじゃないですか。だから、無邪気で子どもっぽいと周りから思われがち。心の中なんて、話さないから」
 つい乱暴な言葉になっていたことに気づき、秋江は言葉を区切った。それでも、これだけ長い間、友だちのお父さん相手に話し続けた自分は偉いと思う。
「秋江ちゃんの言っていることは、おじさんも同感だよ。ただ、人のことを馬鹿呼ばわりするのは良くないな」
 おじさんに諭されて、
「ごめんなさい。兄の口癖が『世の中、馬鹿ばっかり』なんで、うつったのかもしれないです。兄とは占いを鵜呑みにする子に対する意見は同じで、あれは、データと相手の話すことと、雰囲気とかを総合して答えているんだって。え~と、だから、私が最初に言おうとしてたのは……」
「わかるよ。、秋江ちゃんが子どもの時の選挙の話に戻ると、たいていの人は、自分が導き出した『その人像』に都合良く合わせて解釈するものなんだ。この子はきっと兄が羨ましいのだろうと。自分の経験や知識内の解釈で、勝手に物語をつくりあげる」
 おじさんは、続けた。
「理解出来ない人が現れた時、人は不安になる。理解できたつもりで、安心して納得したいんだ。いくら近しい人でも、本当は何を考えているのかわからない。それが当たり前だろう? 秋江ちゃんだって、ご両親やお兄さんが本当は何を考えているかわからないはずだ。それが、普通だ」
「ママは──母はわかりやすいかな。ぬくぬく育って来たらしいけれど、父の選挙の時は、妻として応援に走りまわってます。美怜(みれい)って言うんですよ。私、そっちの名前のほうが良かったな。でも、母にやっぱり合っているかも。松島奈々子を二回踏んづけたような顔してます」
 秋江は、自分の主張が通じ、まともに聴いてくれる相手がここにいることが嬉しかった。それが、ユッコの父親であり、しかもここでの事はふたりの秘密となることに高揚した。
おじさんは、テーブルの上の作品を手際よく片付けて、冷めきったコーヒーに、やっと手を伸ばした。
「いや、お母さんだって、何を考えているのか。本当のその人は誰にも──」
「実は、やっぱりおじさんが犯人だったりして」
 余裕が出て、ふざけてみた。わずかな間があり、おじさんが息を吸う音が聞こえた。
「──よくわかったね。布地の採集は、何かに集中している人からもやりやすいんだよ。スポーツ選手のパレードに気を取られている沿道のお嬢さんとか。パチンコ屋の台にしがみついているロングスカートの女とかの横で、こぼれ玉を拾うふりをして」
「──え」
「──な~んてね」
「やだ、もう。おじさんたら」
 部屋を出る前に、「そうだ、ごめん。一曲歌っていくかい?」 と言われ、秋江は「それじゃ、嫌いな歌を歌います」とマイクを握って欅坂46の「黒い羊」を歌った。おじさんは、「最近の歌はわからない。美由紀にもついていけなくて」と苦笑いするので、「最近でもないです。センターの子も、とっくに脱退しちゃったし」と笑った。

 クリスマスの翌日。秋江は、ママとリビングに飾られた大きなツリーを片付けていた。
「ママ、このオーナメントの箱、横が裂けちゃった。テープ貼っとく?」
「テープだと劣化して剥がれるから、そこいらへんの紐で縛っときなさい」
 秋江は、これでいいやとツリーに巻き付いていた金色のオーガンジーリボンを手に取った。結んではみたがどうにも長すぎて余ってしまった。鋏を探したが見当たらない。お兄ちゃんに借りよう。二階の兄の部屋をノックすると、ドアがゆるゆると開いて色白な細面がにゅうと出た。
「なに」
 つっけんどんな口調は、いつもの事だ。
「鋏、貸して」
「紙、布、どっち」
「リボン。オーガンジー。切り離すだけ」
「じゃあ、これ」
渡されたのは、百均で売っているような万能鋏だった。兄が自分の収集お宝から出すとは思わなかったが、なら、最初から万能を出せと思った。
「ありがと。鋏、見つかるまでしばらく借りてていい?」
ドアを全開にして声をかけた。兄は、ああ、と言いながらパソコンデスクに向かって戻るところだった。光を放つディスプレイに、絵が浮かびあがっている。
──横向きに寄りそう二匹の猫。体半分隠れた後ろの猫は、前の猫に被さるように頭部を傾け、耳の付け根を舐めて──。
「──お兄ちゃん、これ……」
「ああ、いいだろう。神の新しい作品だ」
「──神、って」
「俺がよく覗いている、鋏マニアが集っているサイト。この人は、知識もアドバイスも半端ないから、神って呼ばれてる。余興的に布の切り張り技術を駆使した作品をあげるんだ」
 秋江は、部屋の中にずんずん入って行き、ディスプレイに顔を近づけた。──同じ、だ。
「なんだよ、出てけよ。うぜえな」
「この──神、の名前……なんて言うの」
「シェーレ01。みんなハンドルネームだ。有名人でもない限り、こういうサイトでは普通、本名出さないだろ。お前、馬鹿じゃねえの」

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