第16話  鉄橋     芦野信司

                              学校が始まり、八日から始まった音楽スクールも受験に向けての追い込みの鞭が入ったかのような厳しい空気になった。美由紀のこの一年の成長については先生も認めてくれたが、今の美由紀には一時の気迫が感じられない。もっともっとがむしゃらでないと、聞く人を感動させられない。音楽を甘く見ていないか。……… それが、先生の指摘だった。  美由紀は、ただ俯いて聞くしかなかった。自分は油断していた。先生の言葉は美由紀の慢心を一突きした。 「宝塚に入ったらもっと厳しいからね。もう中学生じゃあないんだから、しっかりしなさい」  美由紀は、心の中で「三月までは中学生なんだけどなあ」とつぶやいていた。  レッスンが終わり日吉駅に向かう。この間までは忘年会で賑わっていたのに、今は新年会で賑わっている。飲食店街は時間が遅くなればなるほど通りたくない場所になる。遠回りしてカラオケ店の前を行く手もあるが、邦夫と出くわさないとも限らないので、美由紀は、我慢して飲食店街を通り抜けることにした。それにしても、なぜ大人はあんなにだらしなく酔っぱらうのだろうと思う。大きい声を出したり、ぺっぺと唾を吐いたり。……… 美由紀は顔をしかめながら、トートバッグにつけた防犯ブザーを握りしめた。もし、酔っぱらいに絡まれたらこれをならしてやるのだ。相手が怯んだ隙に逃げればいい。元陸上部の脚で、颯っと。……… もっとも、美由紀が地味な学生用コートに身を包み足早に通り過ぎるせいか、防犯ベル…

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第15話 シェーレ01  かがわとわ

【 初めまして。シェーレ01さんの、崇拝者のひとりです。美由紀さんの親友、東坂秋江の兄でもあります。是非今度、秋江と共にお目にかかりたいのですが、いかがでしょう。お返事お待ちしております 】  真斗がシェーレ01のツイッターにダイレクトメッセージを送ったことで、秋江はその日のうちに、おじさんに連絡を入れることにした。スマホのメッセージ機能を通じて、電話番号からおじさんにメッセージを送信すればいい。年末に大倉山駅の入り口で待ち伏せした時にこちらの電話番号を教え、一度やりとりしているから、履歴で向こうの番号はゲット済みだ。おじさんがLINEを入れているか訊いておけば良かった。秋江は十八歳未満なので、こちらからはLINEの友だち検索機能が使えない。とにかく急がないとやばい。つじつま合わせをしなければ。 「秋江です。兄がそちらにメッセージを送信したと思います。まだ見てなかったら、見て下さい。驚かせてすみません。スバリおじさんは、シェーレ01ですよね。それについて、相談したいことがあります」  とりあえずそこまで送信して、続きを入力していると、すぐ返信が戻って来た。 「明日午後一時に、こちらから電話する。電話を受けても問題ない場所にいるように」 「了解です。まだ兄には返信しないで下さい」  翌四日。秋江は「ちょっとコンビニ行ってくる」と、スマホとお財布を持って家を出た。近所のコンビニの、駐車スペース。店から離れた端っこのほうで待っていると、一時きっかりに着信があった。わかっていながら、びくっ…

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第14話  憑依   黒崎つぐみ

 順子が黒豆をシンクにぶちまけて以来、正月三が日はよそよそしい空気が家族に流れていた。ほとんど買ってきて詰め替えただけのお節料理をつまみ、お昼ご飯はお雑煮と焼餅のローテーション。台所の片づけを終えると順子はパッチワークに取り掛かる。年末に芸能プロダクションの鈴木という男にパッチワークの縫子にならないかと声をかけられた。アイドルタレントの代わりにパッチワークの作品を作るという仕事が、突然、順子に降って来た。渡された布と型紙。3週間という期限。その期間を経てできた作品が鈴木の要求するレベルに達していればの話だ。アイドルの作品であるという嘘をつかなければ、自分が作ったキルト作品が売れるわけがない、と順子にはわかっていた。鈴木の「ご家族にも内密に」という言葉は、共犯者としての罪悪感も共有するものだった。順子は「ただ鈴木に依頼された作品を作るだけだ」と思うことにした。三が日は化粧もせず、髪もボサボサのまま、ひたすら針だけを動かした。没頭することで邦夫のことも気にしないようにした。 「お母さん、ずいぶん沢山作るのね」 「うん、気分が乗っている時ってあるじゃない」 順子は顔だけを美由紀向けそう言うと、すぐ針仕事に戻った。 「よし、私も頑張ろうっと」 美由紀は自室に閉じこもり受験勉強の続きをしているようだ。あと2週間で鈴木にできたものを渡さなければいけない。時間をかけた分、3日で全体の3分の1くらいの工程が終わっていた。仕事が捗ると、捗っただけまた没頭する。夕方になり部屋の中が暗くなっていくのも…

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