第5話   クリスマスイブ  黒崎つぐみ

 昨夜、美由紀は泣きじゃくりながら邦夫に抗議した。その直情に刺激されたのか、気が付くと順子は夫の背中に殴りかかっていた。「お父さん、チカン?」とキツイ目で美由紀が詰め寄ってからもうすぐ2か月になろうとしている。あの日から順子は握った拳を懐へしまい、平穏な日常に戻ろうと努めていた。美由紀の受験が終わるまでは、と拳を固く握ったまま月日が過ぎていた。順子は2か月前のあの日から邦夫と交わす会話が減っている。口を開くと夫を責めてしまいそうになる。恨み言は言うまいと決めていたが、昨夜は堰を切ったように拳に力を込めていた。行動に出てしまっても邦夫の態度は変わらない。美由紀が泣きじゃくって自室に閉じこもった後、邦夫も寝室へ上がってしまった。体をぶつけた分だけ、以前より他人になってしまった。  そんな時、手を動かしていると少しは気が紛れた。テーブルに広げていたパッチワークの布をお菓子の缶に戻しながらぼんやりと眺める。 美由紀がまだ小さいころ、「お母さん、バッグ作って!」「わたしだけのお弁当箱入れ作って」「アッキーとおそろいの、うわばき入れがいい!」  順子は言われるままにパッチワークでいろいろなものを作った。それはまるで空いた時間を埋めるジグソーパズルのように、順子の隙間も埋めてくれた。美由紀が小学校を卒業して、しばらくはその趣味も押入れの中にしまい込んでいたが、この冬、また手芸道具を引きずり出したのだった。美由紀は2階で受験勉強をしている。夫は最近帰りが遅い。夫の帰りを待つ間、以前はこんなに胸がざわざわ…

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第4話 冬の蝶    芦野信司 (挿絵も)   

 土曜日の図書館の学習コーナーは静かで、紙をめくる音、書きものをする音、そしてときおり椅子の位置を変えるきしみ音がするだけだ。十二月の慌ただしさはここにはない。ゆっくりと時間が過ぎていく。ただ、ここに集まっている学生の内面はそうではないはずだと美由紀は感じていた。年が開ければ、受験シーズンとなる。一人一人がそこから人生のコースを変えていくのだから。美由紀の心も落ち着かない。まだ迷っている。  美由紀の第一志望は、音楽科のあるA高校だ。中学二年の三者面談ではじめての進路指導があった。「宝塚音楽学校に行きたい」答えると担任の先生と母は顔を見合わせた。母にも言ったことのない美由紀の気持ちだった。「木田、おまえ本気か?」と聞く担任。美由紀は頬が燃えるのを感じた。しかし、他に行きたい学校がある訳でもないので「そうです」と答えると、今度は腕を組んで困っていた。数日後、音楽の先生から呼び出された。担任から相談されたのだという。そこで「県下にはこういう高校もある」と薦められたのがA高校だった。「宝塚に一発合格することはまず無いから、ここで勉強しながらチャレンジしてもいいんじゃないかな。十八歳まで受験できる。厳しいぞ」音楽の先生は楽しそうに言ったのだった。  それ以来、音楽の先生は親身に指導するようになった。美由紀は所属するクラブを陸上部からコーラス部へ変更し、毎日発声の朝練に通った。音楽科の受験のためには、実技以外にも身につけなければならない科目があり、先生は日吉にある自分の知り合いのスクールを紹介し…

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第3話 ターゲット かがわとわ

「パパ、あのね」  書斎のドアを半分開けると、秋江はひょいと顔を突っ込んだ。 「ノック! やり直し!」  軽くため息をついたパパだったが、その目は笑っていた。秋江は一度ドアを閉めてから、右手を緩く握り、第二関節でコン、コン、コン、と軽く叩く。 「うむ。入りたまえ」  わざとらしいつくり声が、中から響いた。 「はいっ、お土産!」  秋江は、後ろ手に隠していた小箱をくるりと体の前に回して、肘掛け椅子に座ったパパに差し出した。ミッキーマウスがプリントされている。 「ディズニーランドか。ママと? パパも誘ってくれなくちゃ」 「違うよ~。友だちと。どっちにしても、パパ、いないことが多いくせに」 「つきあいが大変なんだよ。支援者との会合は、大抵週末だからな」 「東坂(とうさか)勝茂(かつしげ)、東坂勝茂をよろしくお願いします」  秋江は、ウグイス嬢のマネをしてみせた。パパが箱の蓋を開ける。スイングするミッキーの絵が入ったゴルフボールセット。 「ね、可愛いでしょ。使ってね」 「せっかく秋江からもらったんだから、飾っておくよ。ありがとう」 「え~。こんなに可愛いんだから、みんなに見てもらわなくちゃ」 「──学校の友だちと行ったのか。まさかボーイフレンドじゃないだろうな」  パパったら、もう。私にはボーイフレンドなんて。だって、私が好きなのは……。 「ユッコと二人で行ったの」 「ああ、あの子か。秋江は、時々あの子の話をするな」 「前みたいに、ちょくちょく会ってないけどね。…

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