第8話 お針子     黒崎つぐみ

イブの夜、美由紀は楽しかったのだろうか?形だけのクリスマスパーティー。 順子は冷蔵庫の隅の、キャセロールに避けてあった食べ残しのビーフシチューを温め直し、ひとりお昼の食卓に着いた。午前中遅くまで寝ていた美由紀は友達に会う約束があると出かけていった。あれから3日経っても、いつものように仕事へ出かけて行く邦夫に、イブの夜、パチンコ屋で見かけたことは言えずにいた。あの日、冷たい雨に降られ、すっかり冷え切っていた体は3日経った今朝になってもまだ冷たい気がした。 邦夫もあの日は傘を差さずに帰って来たという。 「迎えに来て」 そのひとことが出ずに濡れて帰宅した。その電話があればもっと近くに感じられただろう。  昼過ぎ、今にも降り出しそうな暗い雲が鬱陶しい天気だったが 順子は気分を変えたいと思った。正月の支度にはまだ早い師走の街にパッチワークの布を見に出かけた。薄手のコートを羽織ったが、「新しいコート一枚くらい買っても罰は当たらない」と少し奮発する冒険心だけをお財布に詰めて、結局、布だけを買ってくる自分を良く知っていた。 ユザワヤは横浜ベイサイドにもある。しかし順子は日吉で乗り換え、市営グリーンラインに乗り、都筑センター北駅で降りる。「あいたいショッピングタウン」にその店はあった。横浜駅のキラキラしたベイサイドエリアは若向きの店が多く落ち着かない。どちらかと言うと100円ショップなどが並ぶ庶民的なセンター北駅付近のほうがゆっくりと買い物ができた。ショッピングタウンは、ところどころにまだク…

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第7話 男役  芦野信司(挿絵も)

「夕食までもうひと頑張りしてくる」  美由紀はそう母に言い残し、二階の自室に戻ってきた。ビーフシチューのにおいがスエットの上着について入ってきた。美由紀は机の上に開いた教科書のページを二三度めくって見たが、少しも頭に入ってこなかった。  昨夜、父が美由紀に対し怒鳴った言葉が蘇る。「すねっかじりのくせに」「自分の父親が憎いのか」これまであんな風に怒鳴られたことはなかった。思い出すとまた悔しくなる。  親に経済的な負担をかけているのは分かっている。高校生になったら、たくさんアルバイトをして、父の負担にならないようにしてやる。そう言い放つことができたら、気持ちは多少すっきりするだろう。でも、それは父へ反発する心が言わせるだけで、本当はやらないだろうと自分でも思っている。宝塚受験のためには、いろいろなことを学ばなくてはならない。高校にはいったら、いままでお留守にしていたバレエを習わなくてはならず、それにはお金も時間も要る。美由紀の家は富裕ではないにしても、世間に名の通ったソフトウエア会社でマネージャーと呼ばれる父が出せないレッスン料ではないだろう。現に、今でも日吉の音楽スクールに毎月五万円の授業料を払っている。高校の音楽科へ入学したら、音楽スクールの月謝をバレエスクールの月謝に振り替えることをねだろうと美由紀はこっそり計画していた。  まして、美由紀が父を憎いと思ったことなどないのに、なぜあんなに怒ったのか。……… それに、母が急に父に殴りかかったことも美由紀には不思議な光景だった。はじめてみ…

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第6話 斑の羊     かがわとわ

 あの日、制服のスカートが切り取られていたショックで、秋江はそのまま早退した。担任から両親にも知らせが行った。秋江は学校にも両親にも、知らぬうちに切られたと説明し、電車で触られたことは黙した。体調が悪くなり、遅刻した事とは無関係だと。運悪くたまたま被害に遭ったと装った。学校からは、保護者と生徒に向けて「変質者情報」の一斉メールが送信され、ママは心配のあまり、事件後一週間は車で学校まで送ってくれた。その後、似たような被害情報が挙がらなかったこともあり、切り取り事件は周りの話題から消えていった。が、秋江の気持ちは収まりようがなかった。  ユッコのお父さんが。きっとそうだ。布の切り貼り。愛おしそうになぞっていたあの指。秋江のスカート生地もおじさんのコレクションに加わったのだ。 ──布たちは、おじさんの集めた宝物なんだよ── 静かな低い声が、耳元で蘇えるたび、それは不快さから怒りへと変わって行った。舌の黄色いおやじは無実で、チカンは、ユッコのお父さんだった。切った上に、触ったのだ。それとも、切った人と触った人は別? このまま、黙っていれば、忘れてしまえばいいのか。この先、ユッコには知らんふりして接していくのか。それとも適当に理由をつけて、もうユッコと会わなければいいのか。──そんなの、嫌だ。ユッコに会えなくなるなんて嫌だ。 電車通学に戻った秋江は、心臓をばくばくさせながら、こっそりユッコのお父さんを後方からスマホで撮影し、十月の末にユッコを呼び出した。 「この人、チカンなの」  激しく動揺した…

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